2004年 08月 13日
Monks and a crazy photographer |
ビエンチャン市内のバンファイ寺に居候していたときの写真。やはり浮いている・・・?
ご挨拶
『メコンを渡る風』をご覧いただきありがとうございました。
思い起こせば、このアルバムはボクがホームページなるものに手をつけるようになった最初のアルバムです。撮り溜めたラオスの写真をできるだけ多くの人に見ていただき、ラオスという国、そこに暮らす人々に共感を持っていただけたら、という思いでした。今般、ブログで再公開することになり、当時の熱い思いがよみがえるような感慨を覚えています。
東南アジアの小国ラオスはユニセフの分類で「最貧国」と位置づけられていることからも分かるように、先進国日本に住む我々には想像することすら困難なほど貧しい国です。そもそもこの小国の取材を始めたきっかけが同国に対する支援活動をやっているボランティア団体の依頼からでしたし、その後は海外青年協力隊(JICA)の機関誌の仕事で何度も通うようになったといういきさつもあって、この国の人々に対する支援を訴えたいという気持ちもありました。
ラオスには足掛け3年、延べ日数で8ヶ月ほど通い、滞在しました。その間、北は中国国境から南はカンボジア国境までほとんど国中を歩きました。熱帯の気候は厳しく、なかんずく雨季の高温多湿には苦しめられましたが、歩き回ることが辛いと感じたことはありません。それは、どこに行っても、人々が暖かくボクをもてなしてくれたからです。とても貧しい人々ですが、貧しいなりに精一杯の歓待で旅人をもてなすということが、この国ではまだ常識としてあるのです。
そういう暖かいまなざしをカメラに収めるわけですから、ボクとしてはできるだけそういう人々と同じ目線を保とうと努めました。ホテルなどにはほとんど泊まらず、良くて1泊10ドルのゲストハウス、たいがいは通りがかりの農家やお寺に泊めてもらうようにしたのはそういう理由からでした。観光客の目線ではない、一般庶民の目線で見たラオスを感じていただけたとすれば、それにすぐる喜びはありません。
『メコンを渡る風』をご覧いただきありがとうございました。
思い起こせば、このアルバムはボクがホームページなるものに手をつけるようになった最初のアルバムです。撮り溜めたラオスの写真をできるだけ多くの人に見ていただき、ラオスという国、そこに暮らす人々に共感を持っていただけたら、という思いでした。今般、ブログで再公開することになり、当時の熱い思いがよみがえるような感慨を覚えています。
東南アジアの小国ラオスはユニセフの分類で「最貧国」と位置づけられていることからも分かるように、先進国日本に住む我々には想像することすら困難なほど貧しい国です。そもそもこの小国の取材を始めたきっかけが同国に対する支援活動をやっているボランティア団体の依頼からでしたし、その後は海外青年協力隊(JICA)の機関誌の仕事で何度も通うようになったといういきさつもあって、この国の人々に対する支援を訴えたいという気持ちもありました。
ラオスには足掛け3年、延べ日数で8ヶ月ほど通い、滞在しました。その間、北は中国国境から南はカンボジア国境までほとんど国中を歩きました。熱帯の気候は厳しく、なかんずく雨季の高温多湿には苦しめられましたが、歩き回ることが辛いと感じたことはありません。それは、どこに行っても、人々が暖かくボクをもてなしてくれたからです。とても貧しい人々ですが、貧しいなりに精一杯の歓待で旅人をもてなすということが、この国ではまだ常識としてあるのです。
そういう暖かいまなざしをカメラに収めるわけですから、ボクとしてはできるだけそういう人々と同じ目線を保とうと努めました。ホテルなどにはほとんど泊まらず、良くて1泊10ドルのゲストハウス、たいがいは通りがかりの農家やお寺に泊めてもらうようにしたのはそういう理由からでした。観光客の目線ではない、一般庶民の目線で見たラオスを感じていただけたとすれば、それにすぐる喜びはありません。
by wind_mekong
| 2004-08-13 17:00
| ご挨拶