2004年 08月 19日
Bombed but survived |
北部のシェンクアン県はベトナム戦争当時、米軍のいわゆる「シークレット・ウォー」の被害をもっとも受けた地域にある。当初はホーチミン・ルートを潰す目的で着手された作戦が、一般住民への無差別爆撃へと移行するのに大して時間はかからなかった。今でも不発弾処理がラオスが抱える重荷になっているし、米国によって徴兵され最前線を戦わされたモン族の一部が、まだ反共主義の抵抗を続けざるを得ない状況に置かれている。なかり不安定な情勢のところなので、陸路では行くことができない。
この大仏は爆撃によってワットが破壊されてなお、奇跡的に残ったものである。現在は粗末ながらも新しい寺が建てられたが、この大仏だけは元の場所にこうして座っている。戦禍をまさに自ら潜り抜けてきた仏様だから、人々の平和への願いを一番よく聞き届けてくれるのではないかとボクは思っている。
この大仏は爆撃によってワットが破壊されてなお、奇跡的に残ったものである。現在は粗末ながらも新しい寺が建てられたが、この大仏だけは元の場所にこうして座っている。戦禍をまさに自ら潜り抜けてきた仏様だから、人々の平和への願いを一番よく聞き届けてくれるのではないかとボクは思っている。
by wind_mekong
| 2004-08-19 21:22
| Devoutness